職人の「神業」を消さないために、私がSUMITSUBO AIを作った理由
ある現場で、年季の入った職人がぼそりと言いました。「ワシらの代で終わりや。教える時間もないし、若いのも入ってこん」。その言葉を聞いた瞬間、私は図面を持つ手が止まりました。日本の建設現場を支えてきた技術と誇りが、静かに、しかし確実に消えようとしている。この記事は、その危機感からSUMITSUBO AIが生まれるまでの話です。
図面に描けない技術が、今消えようとしている
私はこれまで数え切れないほどの建設現場を見てきました。そこで目にしてきたのは、テキストや図面では絶対に伝わらない「呼吸」のような技術でした。天候のわずかな変化を読んで工程を微調整する判断力、若手の表情ひとつで危険を察知する眼力。そういった感覚は、10年・20年をかけて体に刻まれるものです。
しかし今、その担い手が急速に減っています。国土交通省のデータによれば、建設業の就業者数は1997年のピーク時から約30%減少しており、55歳以上が全体の約35%を占めています。ベテランの退場が続く一方で、若手の入職者数は回復しきれていない。技術の継承どころか、その「継承の機会」自体がなくなりつつある状況です。
現場で聞いたあの言葉は、一人の職人の愚痴ではなく、業界全体の現実でした。「デジタルの力で、この匠の技を永遠に残せないか」という焦りと使命感が、私の会社の出発点です。
社名「墨壺」に込めた、AIへの向き合い方
SUMITSUBO AIという社名の「墨壺」は、大工道具の原点です。木材に直線を引くためのアナログな道具で、一見するとシンプルですが、建物のすべての基準となる線を引くために職人が最も丁寧に扱うものでもあります。私はAIを、この「墨壺」の役割に置きたいと考えました。
- 職人の仕事を奪う「敵」ではなく、仕事を正確にする「相棒」として機能すること
- 監視カメラではなく、命を守るための「目」として現場に溶け込むこと
- 技術を囲い込むのではなく、次世代へ「線を引く(継承する)」器になること
AIというと、どうしても「人間の仕事を奪うもの」という印象が先行します。しかし墨壺は、大工の技術を否定しません。墨壺があるから、職人はより精度の高い仕事に集中できる。AIもそうあるべきだと私は思っています。私たちは「AIベンダー」ではなく、職人の魂を継承するための黒子でありたい。その覚悟を、この社名に刻みました。
「温かいDX」と「冷たいDX」の分かれ目
世の中では「建設DX」「業務効率化」という言葉が飛び交っています。しかし私が現場で見てきた限り、DXツールの多くは現場の職人を置いてきぼりにしています。タブレットを渡されても使い方が分からない、報告書のフォーマットが変わって余計に時間がかかる。そういう声は今も現場のあちこちで聞こえます。
システムを入れることが目的になった瞬間、DXは「冷たいもの」になります。職人がそのシステムの操作に振り回され、本来の仕事に集中できなくなるなら、導入する意味がありません。私が目指すのは、使った人が「これのおかげで今日も無事に家に帰れた」「親方の判断が少し分かった気がする」と感じられるような、体温のあるDXです。
「技術を継承するとは、答えを渡すことではなく、考え方の筋道を次世代に見せることだ」
この言葉は、私がある熟練の左官職人から聞いたものです。AIに記録させたいのも、答えではなく「筋道」です。どの場面でどう判断したか、なぜその順番で手を動かすのか。そういった暗黙知を、映像とデータで少しでも可視化できれば、技術の継承は劇的に変わると信じています。
正直に言う、AIにできないことがある
ここで一点、正直に伝えておかなければなりません。AIは万能ではありません。現時点のAIは、職人が10秒で気づく「何となくおかしい」という異変を、まだ完全には捉えられません。熟練者の皮膚感覚や、現場の「空気」を読む力は、データだけでは再現できない領域があります。
- 数値化されていない経験則や、職人固有の身体感覚はAIに学習させることが難しい
- 現場の状況は常に変化するため、過去データだけに頼った判断は危険を招くこともある
だからこそ、AIはあくまで補助であり、最終判断は人間が行う。この原則を崩さないことが、現場でAIを信頼してもらうための最低条件だと私は考えています。「AIに使われるな、使い倒せ」という言葉を社内でも繰り返しているのは、この考え方の裏返しです。道具は使う側が主役でなければならない。墨壺が大工の手のなかにあるように、AIも職人の意志のなかに置かれるべきものです。
この会社を作ったのは、現場への借りを返すためだ
私がSUMITSUBO AIを立ち上げた動機を一言で言うなら、「現場への借りを返したい」という気持ちです。建設業界は、日本のインフラを文字どおり支えてきた産業です。それにもかかわらず、デジタル化の波から取り残され、人手不足という構造的な問題を前に、ベテランの知恵が記録されないまま失われ続けている。
私はその現実を変えるために、テクノロジーを使いたいと思っています。建設現場を「ITの金づる」にするためではなく、職人が誇りを持って働き続けられる環境を作るために。そのための道具として、AIがある。創業からずっと、この順番は変わっていません。
人手不足という厳しい冬の時代を、現場の人間が主役のまま乗り越えていく。それが私たちの仕事です。