【代表・軽部の半生】ユンボが玩具だった少年が、ゼネコン・震災復旧を経て「建設DX」に挑むまで。
私の身体には、文字通り「建設の血」が流れています。
1984年、茨城県の水道屋の次男として生まれた私の遊び道具は、スコップとパイプ、そして本物のユンボでした。
物心ついた時から、建設現場は私の生活そのものであり、遊び場でした。
大林組で知った「プロの厳しさ」
「建設学科だから」という安易な理由で入社した大林組。
そこで待っていたのは、エリートたちとの圧倒的な実力差でした。
当時の私は、給料をもらっているのに何もできない、ただの「受け身の学生」でした。
トンネル現場で副所長に叩き込まれたこの言葉が、私の人生を変えました。
分からないなら調べる、聞く、動く。
赤字スタートの過酷な現場で、15kg痩せながらも、測量から原価管理まで、建設業の全てを身体で覚えました。
3.11、水道を直し続けた日々
家業を継いで間もなく起きた、東日本大震災。
水が出ない恐怖、家族の安否、そして津波の被害。
それでも私たちは、水道屋として動きました。
早朝から深夜まで、社員総出で破損した水道本管を直し続けました。
1日に50件もの現場を回り、地域のライフラインを守り抜いたあの経験。
寒さも疲れも忘れ、誰一人弱音を吐かずに現場に向かったあの職人たちの背中を、私は一生忘れません。
そして今、なぜ「AI」なのか
震災復旧、その後の人手不足、育成の失敗。
私は40年間、建設業の「光」も「闇」も全て見てきました。
職人たちがどれだけ苦労しても、非効率な仕組みのせいで報われない現実も知っています。
「現場を知らない人間が作ったシステムでは、この業界は救えない」
だからこそ、私は最強のパートナーを選びました。
日本最高峰の頭脳を持つ「東大松尾研発のエンジニア」たちです。
私の「40年の現場知見」を、彼らの「技術」で形にする。
これこそが、SUMITSUBO AIが他のITベンダーとは「レベルが違う」理由なのです。